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アフリカ・エッセイコンテスト受賞作品を紹介
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(5月25日)一般部門で英国大使賞を受賞した、古家 正暢(ふるや・まさのぶ)さんの帰国報告エッセイが届きました!


Ethiopia Study Tour で学んだこと…

古 家 正 暢  Masanobu FURUYA

 TICADⅣの開催にあたり「アフリカ2008キャンペーン」が開いた「アフリカ・エッセイコンテスト」において、私のエッセイが『英国大使賞』をいただくという光栄に浴しました。その副賞として、5月3日から9日間のエチオピア・スタディツアーに参加させていただき、さまざまなアフリカの実相を視察してきましたので、ここに報告させていただき感謝の意の一端としたいと思います。

1 ステレオタイプのアフリカからの脱却
  アフリカと聞いて、社会科教師の私がまず思い浮かべることは、貧困・飢餓・旱魃・砂漠化であった。生徒には多面的・多角的にとらえなければならないと言いつつ、その実、私自身がアフリカを多面的にとらえていないことを、今回のスタディツアーを通して思い知らされた。
  たとえば…
「アフリカは決して暑い所ではなかった」
アジスアベバ空港に降り立った時、肌寒さを感じた。日本よりも南に位置するとはいえ、標高2700mもある高原であれば、涼しいのは当然であり湿気も少なく大変心地良かった。
「原油高にもかかわらず交通渋滞するアジスアベバ」
日本とガソリン価格は大きく変わらないにもかかわらず、燃費の悪い中古車が氾濫していた。どこに高いガソリンを購入する経済力が潜んでいるのだろう。大量の排気ガスを吐く中古車の列と荷物を背に負ったロバとの共存に戸惑いを感じた。
「高い学習意欲と熱い心をもった子どもたち」
  カラユ牧畜民が通学する学校で、教え子が作詞・作曲した“Under the same sky”を披露した時のこと。「どんなに強く 空に願っても」を“donna ni tsuyoku sora ni negattemo” とローマ字で追っていった時の子どもたちの瞳の輝きが忘れられない。現地の学校では音楽の授業は全くないという。それも初めて接する日本の中学生が創作した曲であるにもかかわらず、真剣にカセットテープの音に集中して少しでも大きな声で歌おうとする。初めて聞いた曲をローマ字日本語で必死に追う彼らは、もしかすると“Under the same sky”と考える日本の中学生の想いに必死で応えなければならないと考えたのかもしれない。子どもたちの熱い心に感動した。
「決して危険なところばかりではないアフリカ」 
    帰宅した時、小学6年の息子は「お父さん、お帰り! 元気…? 手は大丈夫…?」と出迎えてくれた。私は「元気だよ。手も足もちゃんとあるよ」と答えた。その後、私に抱きついたかと思うと「良かった、良かった。」と言いながら涙を流していた。「民兵に襲われなかったんだね。良かった、良かった。」と言う。なぜ、このように息子は心配したのか…?
 今年2月にアフリカの授業をするにあたり、DVDで『ホテル・ルワンダ』『ルワンダの涙』『ダーウィンの悪夢』『ブラッドダイアモンド』などを私が見ていたので、アフリカ=危険なところというイメージを息子なりにつくりあげてしまったようだ。息子は私が民兵に手斧で腕を切り取られたらどうしようと心配していたそうだ。
   ということは、少なからずこのようなアフリカイメージを抱かせるような授業を私は展開してしまっていたのではないかと反省した。改めてこのようなアフリカに対する先入観・思い込みを打破するような授業を今後展開しなければならないと思った。

2 水・水・水 そして 水
  JICAの佐々木所長・FRGの白鳥さんが強調されていたように、エチオピアにおける支援活動は、「水・水・水 そして 水」といっても過言ではないと思った。風化が進み、水分も養分も蓄えられなくなっているアフリカの大地。農業の生産性が著しく低いエチオピアの大地にあって、日本の支援として、何ができるのか、何をしなければならないのか。
アワッシュ滝の水量を見たとき、何とかならないものだろうかと思った。あの轟音をあげて勢いよく落ちる茶褐色の濁流をうまく活用することはできないのだろうか。また、大型重機で掘削すれば地下水が得られるのであれば、井戸を提供することはできないのだろうか。フッ素が多く飲料に適さない湖の水から、フッ素を取り除くことはできないのだろうか。日本の支援を「水」に焦点化して提供することはできないのだろうか。貧困・飢餓から脱却するためには農業の振興以外にはないのであるから、日本の支援は「水」の確保を第一優先とすべきであると強く感じた。

3 ODAの減額は本当に「しかたない」ことなのか
日本のODA予算は1997年をピークに年々減少している。対GNI比率も国民一人あたりの負担額も諸外国に比べて低い。少子高齢・借金大国:日本にあっては、「しかたない」ことなのだといわれるかもしれない。しかし、「しかたない」という語は思考停止をもたらすコトバだ。思考停止からは何も生まれない。今こそ改めて問う必要があるのではないか。ODAの減額は本当に「しかたない」ことなのかと。アフリカの実相の一端を知って、その思いを一層強くした。
現に私は「英国大使賞」ということで、豊かな国:日本にありながら、英国大使館の支援で今回のエチオピア・スタディツアーに参加する機会を得た。英国は極東の一日本人である私にアフリカ理解を深めさせるために費用を捻出した。この英国の姿勢をどのように理解すればいいのだろう。英国だってお金が余っているわけではないはずだ。「しかたない」と思考停止しないところから生まれた配慮であると深く感謝したい。  
また、人づくりはお金がかかる割にその成果が見えにくいものであるということも再確認しておかなければならない。その成果は数値で表しきれないものである。だからといって、容易に減額することのないようにしなければならない。現地の最前線で農民支援プロジェクトに挑む白鳥さんの活動を知り、その思いを一層強くした。思考停止の「しかたない」減額に強い異議申し立てをするものである。

4 本当の幸せとは何なのだろう 
  「幸せの公式」なるものがあることをご存じだろうか。「幸せ=結果/欲望」という公式。 カラユの牧畜民の自宅を訪ねた時に、本当の幸せとは何なのだろうと強く感じた。土壁に藁ぶきという教科書にも紹介されているような伝統的なアフリカの住居だ。当然電気はないので、明るい所から急に中へ入った瞬間は真っ暗闇で、何が何だかわからなかったが、台所もあり藁の上に羊の革を敷いた居間もあった。家財道具で目立つものといったら、水汲み用の黄色いポリタンクのみであった。これをもって貧困の極みと表現することは容易だ。しかし、屈託なく私たちを受け入れ、一緒に笑顔で写真撮影に応じる彼らは本当に貧しいのだろうか。私たち日本人は文明人であることを自負しているが、余計なものを持ち過ぎてはいないだろうか。「幸せの公式」の分母である欲望が大きくなりすぎてはいないだろうか。欲望が大きすぎると、いつまでも幸せになることはできないということを改めて痛感した。            

5 TICADⅤを迎えるために
  これから、いよいよTICADⅣが始まるという時に、5年も先のことをいうと鬼が大笑いするかもしれない。しかし、最後に日本政府を中心とした関係各位にお願いしたいことがある。
私にエチオピア・スタディツアーの機会を与えてくださったのが、特定非営利活動法人 TICAD市民社会フォーラムであったことに鑑み、ぜひ、5年後はアフリカの市民社会を代表する団体が共催者として名を連ねるようご努力いただきたいと強く願う。市民と市民の草の根の連帯ほど強いものはないと確信しているから。私も「市民性」をはぐくむ教育を推進していきたいと考える。

* 最後になりましたが、お世話になった全ての方々に、心より御礼申し上げます。「大変貴重な経験をさせていただき、とても良い勉強になりました。どうもありがとうございました。」

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プロフィール
アフリカ2008キャンペーン:
アフリカ2008キャンペーンは、「がんばるアフリカ」を応援するために2007年3月から始まりました。
2008年5月に横浜で開催される第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)に向けて、アフリカの人の声を届けます。
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