永井教之(ながい・のりゆき)さん
会社員
「イコイの森で」
(原文のまま掲載しています)
マリオが運転するダットサンを捕まえられたのは、イコイ谷の入り口にある村で車を待って丸二日が過ぎ、諦めてランバレネへと向かおうとしていたときのことであった。
マリオはガボンのこの谷へ、材木を調達にやってきたマレーシア人だった。
2004年当時、私はアフリカを一周してやろうと、カイロから大陸の東側を南下した後、ケープタウンからアルジェを目指して西側を旅していた。イコイ谷に行きたがったのは、ガボン大使館のホームぺージに、その谷にはいにしえ色濃く残るとあったからである。
イコイ谷のジャングルは何処までも果てしなく続くかのようであった。大気には水と酸素を含んだ確かな重さと抵抗があり、そこに鳥や虫の声と木々のざわめきが絶えずバイブレーションを加え続けていた。私はマリオの助手でモーリタニア人のジャンと車の荷台に乗り込み、エンジンのものではないその振動を全身で受け止め、感動し、感謝していた。
「マレーシアの木は切りつくしてしまったんだ」
なぜこんなところまで木を切りに来ているのか?私の問いにマリオはそう答えた。材木として価値を持つような太い木は、東南アジアの森にはもう残っていないという。ここで切り出された木は川を下り、リブレヴィルから欧州諸国や日本など極東の国々へと運ばれていくのだそうだ。そんなものかと思う。あの豊潤に見える東南アジアの森にも、人間の活動を支える力は残ってはいないということが意外であった。
「ここに来てもう3年さ。この道をつくるところから始めたんだ。早く国へ帰りたいね」
翌日、彼らが前線基地へ向かうというのでついていくことにした。川を見下ろす高台に基地はあった。50mほどの川幅いっぱいに、丸太が浮かんでいた。スタッフが温かい食事と一緒に一冊の雑誌を持ってきた。ベネトンのアートデレクターであったオリビエロ・トスカーニ氏が撮影した原宿が特集されていた。ジャングルで東京の若者達に出会うとは。
「お前の国の若い連中はみんなこんな格好をしているのか?」
ほんの一部。と答えて、再び川の流れに目を移した。突然、風景の輪郭が太く、熱を含んで飛び込んできた。痛みと驚き、少しの後悔をもって繋がったのである。かつてアジアの森から供給され、今ではアフリカの森から供給される木材を消費し続け、いくつかの意味で先端をいく極東の小さな国のイメージと、目の前の現実が繋がったのである。
感傷的になる必要はない。しかし私はアフリカの自然環境に加えられる変化の末端に日本の社会が存在することを、肯定せざるを得ない立場において体験した。マリオの会社ではアフリカ諸国から集まったスタッフが働く。みんながんばっている。環境問題は善悪で割り切れないからこそ、皆で話し合い協議する場を持つことが大切なのではないだろうか。
PR