佐藤春夫(さとう・はるお)さん
学校教員
「相互支援の実現」
(原文のまま掲載しています)
アフリカ、そこはあまりに遠い。私が現地に直接赴いて現況を知るにしても、直接的な支援をしようと考えても、正直なところ、時間と資金がない。私と同様に感じる日本人は数多いはずだ。では、私たち日本人にいったい何ができるだろうか。
私は、救済とか援助という言葉に大変抵抗がある。どこか「上から下へ」という思いが見え隠れしてしまうからだ。もちろん、そんな気持ではなく、純粋に救済とか援助を考えている人が多いことも確かだ。私が今までしてきた「募金」という行為も自分では純粋なものであったと思う。しかし、心のどこかに「上から下へ」という気持ちが絶対になかったか、と言うと、首をかしげざるを得ない。
私は小学校の教師である。6年生の社会科学習「ともに生きる地球」という単元で、ピュリツァー賞に輝いた故ケビン・カーター氏の「ハゲワシと少女」を導入であつかった。少女が息絶えるのを彼女の背後から待つハゲワシ。あまりにも衝撃的な写真だ。子どもたちは、その写真を入り口に、飢餓、砂漠化、森林伐採、酸性雨、お温暖化について学びを広げ深めて言った。そして、ユニセフ・ユネスコに代表される活動を通して意日本の役割について学んだ。社会科学習のねらいからすると、妥当な学びであっただろう。しかし、私にはむなしさが残った。なぜならば、子どもたちは教科書に書かれている事実を学んだにすぎないからだ。もしかすると、「上から下へ」という思いを形成してしまったのではないか。それでは、どのような学びであったらよかったのか。私が展開した学習の最大の弱点は、自分(子ども)と題材(アフリカの現実)のかかわりはあったが、自分(子ども)と人(アフリカで生きる人)とのかかわりを築くことができなかったことだ。アフリカで生きる人たちが、今何を幹事。何を考え、飢餓や砂漠化と言った事実にどのように対処しているのか、その生の声を子どもたちに提供することはできなかった。
夏休みや冬休みを利用して、教師と教師、生徒と生徒、同世代・同業者が一定期間学び合うのだ。私たち日本人がアフリカ現地において、アフリカを実体験し、アフリカ人と語り合う。アフリカの人たちは日本において、日本を実体験し、日本人と語り合う。その体験と語り合いを通して、日本人は日本のよさと課題を、アフリカの人たちはアフリカのよさと課題を再確認する。そして、お互いの課題を解決するために日本はアフリカのために、アフリカは日本のために行動を起すのだ。一方から一方への支援ではなく、相互の支援を実現するのだ。そのことは、地球に生きる地球人としての一歩を踏み出すことになる。そこには、「上から下へ」といった支援はない。どうレベルでの学び合い、高め合いが実現するのだ。
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