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アフリカ・エッセイコンテスト受賞作品を紹介
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木下 奈穂(きのした・なほ)さん
専業主婦

「ブルキナファソのある村で」

(原文のまま掲載しています)

 「俺が子供の頃は、ここにはゾウやライオンがいたんだ」目尻にしっかりとしわの刻まれたその老人のいう子供の頃とは、50年前くらいの話だろうか。老人の名前はハリドさん。67歳。西アフリカの内陸国、ブルキナファソの北部の村に住んでいる。さらに100kmも北上すればサハラ砂漠、という場所である。年間降水量300mmのこの地に、信じられないような話だがかつてはゾウが住める豊かな森があったのだという。それって本当?と聞き返してしまう。今は、見渡せば一面砂だらけで樹木が僅かに点在する土地。風がふけば砂がもうもうと舞い上がり、黄色一色の世界となる。なぜ森がなくなったのかと聞くと、「雨が減ったことと、人口が増えたこと、この2つが原因だね」という。

 

2年間の植林活動のボランティア。行く前は、果たして私が役に立てることがあるだろうかと不安だった。少なくとも、私が一日1本植えれば700本植えてこられる、と考えて現地に向かったが、それはとんでもない誤算だった。苗木を植栽できる期間は1年のうちで約2ヶ月。工業製品の工場のようなわけにはいかない。体当たりの2年間。「日本人は真面目だな」とよく笑われた。ブルキナ人は約束に1時間も2時間も平気で遅れてきていい加減すぎるだろう、と私は文句を言う。でもまあ、ブルキナ人のこのおおらかさや、生きることへのたくましさが私は結構好きだ。

 

この村に以前のような、ゾウやライオンのいる森を復活させるにはどうしたらいいかな、とハリドさんに尋ねてみた。「もうムリだね」とハリドさんは言う。よほどのものすごい大雨が毎年降るような気候の変化がない限り、この村に森が戻ることはないだろう、人口はどんどん増えるしな、と。悲しい話を聞いたと思ったが、そこでハリドさんは顔をほころばせた。実は、今月また村の人口が一人増えたんだ、見てくれよと、小さな赤子を抱いた若い女性を紹介された。あっお孫さん?と聞きそうになって私は言葉を飲み込んだ。「先日生まれたばかりの俺の10人目の娘だよ」。ハリドさんは67歳。20歳かそこらにみえるその赤子の母親は、ハリドさんの4人目の奥さんだそうだ。日本に生まれ育った私にとってはとんでもないシステムに思えるが、とにかくよくある一夫多妻制。かわいいだろ、と抱き上げるハリドさん。本当にかわいい赤ちゃんだった。

 

それでもな、とハリドさんは言う。「やっぱり地道に木を植えること、啓発活動をすること、この2つをしていかなきゃいけない。森は元には戻らなくても、それが無意味だとは思わない」。10人目の子供が大人になったときのためにも俺は木を植えるよ、と豪快に笑うハリドさん。こんなたくましさが、やっぱり私は好きだ。



審査員コメント:
気候変動ー環境破壊に関わる問題を、村の老人(長老)の声を伝えることで、印象を残すエッセイでした。 また個人レベルで村レベルで、木を植えることおよび、啓発活動の重要性を、現地の人の声として、伝えているのも良いと思いました。
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専業主婦
小山 裕子(こやま・ゆうこ)さん 

「幸せも載せて輸出したい―アフリカへ渡る中古車」
 
(原文のまま掲載しています)


 四年前子どもが小学校に入学するに当たって、マイカーを買い替えた。そのときまで乗っていたのはコンパクトカー。息子が産まれたのに合わせて買った車で、子どもの初めての遠出に使ったり、幼稚園への送り迎えにフル活動したりして思い出の多い車だった。

 自動車販売店で、古い車と交換に新しいセダンの引き渡しを受けることになった。新者との対面はうれしかったが、古い車との別れは寂しかった。同じことを思ったのか息子が「この車はどこへ行くの?」と尋ねてきた。

 中古車の行く末など知らなかった夫や私に販売店の営業マンが助け舟を出した。この車は船に乗ってアフリカに渡るかも知れないよ。ライオンやゾウたちと仲良く暮らして行くから、独りぼっちにはならないよ」。息子は納得したらしく「じゃあこの車は寂しくないんだね」と笑顔を見せた。

 営業マンの機転を効かせた説明には感謝したが、息子とは逆に私の中に納得できない気持が芽生えてきた。

 営業マンが後で私たちに説明してくれたところによると、アフリカ向けに輸出される車は「走行距離が二十万キロを越えていてもちゃんと売れる」のだという。帰宅してインターネットで調べてみると、確かにそれらしき記述が見られた。日本で売られる中古車よりもずっと長い距離だ。

 モノを大切に使うのはよいことだ。ただ、車の場合は排ガスという環境にかかわる問題が絡んでくる。走行距離が長い車は古い車である。日本で環境規制が緩い時代に作られた車や、大気汚染物質を出さない止めの機能が壊れた車も輸出されていないのか。そんな車ばかりが輸出されていく中でアフリカの空気は確実に汚れていくのではないか。

 もう一つの懸念は、アフリカで故障し動かなくなった車は最終的にどうなるのか、ということだ。日本の自動車メーカーのサービス網もなくはないだろうが、きっとそれは新車か年数の浅い車の修理を前提としたものだろう。壊れた中古車をなおすための技術者も充分確保されているとは思えない。

 アフリカで壊れた日本の中古車は現地で産業廃棄物になっていくのだろう。いったいそれは誰が処分するのか。アフリカの大地にスクラップの山が重なる様子が想像された。

 こんな風に考えると、私達の幸せを支えたマイカーが、最終的にはアフリカの環境を壊している面も否めない気がする。たまたま車から想像を広げていったが、他のことでも日本人の暮らしがアフリカの環境をどこかで壊しているのではないか。

 日本の自動車メーカーはエコカーの開発に熱心だ。これは大切なことだ。これに加え、アフリカなどに輸出する中古車の環境対応や安全性向上にも取り組んで欲しい。日本の家族を幸せにしてくれたマイカーが遠いアフリカの大地でも、現地に住む人を幸せにして欲しいと願わずにいられない。


審査員コメント
●わかりやすい、日常の生活から日本とアフリカの関係性、中古車から環境問題へ素直に展開された。広くこのエッセイを紹介したい気持ちになった。
●自家用車の買い替えをきっかけにした、中古車の行方、公害・環境問題とのリンク、中古車を売り、輸出する側の責任が、分かりやすく描けていました。


私立横浜雙葉中学校2年
飯島 美帆(いいじま・みほ)さん 14歳

「信頼しあえる世界の為に」
(原文のまま掲載しています)

 私は小さかった頃、父の仕事の関係で五年間、南アフリカ共和国に住んでいた。まだ幼なかった頃であったから詳しいことはあまり覚えていないが、楽しかった生活であったことなど良い思い出しか残っていない。でもそれは、家族に守られていたからだったと思う。でもそんな考えは甘く、現在でも、強盗、殺人は昼間から行われ、日常茶飯事で、停電もよく起き、政治も不安定だ。しかし、最も深刻なのは貧困だと思う。現在、アフリカで一日一ドル以下で生活している人は全体の約四十パーセント以上で日本よりかなり多い。また貧困は、アフリカの不安定な現状の最も根本的な原因の一つだと思う。貧困が広まると、食糧などを求めて強盗や犯罪などが起き、また、それらが起こると人びとの中に不安や混乱などの気持を引き起こして、ますます、情勢を悪くするからだ。

 私は日本で生まれ、日本で育ち、特に不自由な生活はしたことがない。アフリカで滞在していた間もそうだった。日本に住んでいる多くの人もそんなに不自由な生活をしている人は少なくないはずだ。だからあまり、一日一ドル以下の生活は想像ができないが、ニュースや新聞を読んで見て、その苦しさ、大変さはとてもよく伝わってくる。何とかしなければいけないと、とても強く感じる。私一人がアフリカに行っても、今のままではできることは少ないだろう。だが技術の進んでいる日本なら、できることも多いはずだ。現在でも日本はアフリカに、色々な経済的な援助をしている。だが、金銭的な寄付だけではあまり変わらないと思う。病院での手術などの技術・道路整備や、学校の教育向上の為にも、お金だけではなく、物、人を派遣する必要があると思う。また日本だけではなく私達一人一人にもできる事があるはずだ。例えば私は貧しい子供達の為に使わなくなった鉛筆やノート、消しごむなどの文房具類や、小さくなって着れなくなった洋服などを集めて送っている。小さなことだけれども、多くの人がやればやるだけ、貧しい子供たちを一人でも多く救ってあげることができる。また、私たちの中でも、物を大切に使おうとする気持ちが生まれてくるのではないか。

 アフリカの貧困が良くなれば、エイズなどの病気に感染する人も減少し、犯罪も少しは減るのではないかと思う。またそういった社会を実現する事で全ての人が信頼しあえる世界をも創り出すことができるのではないかと思う。

長野県佐久市立望月中学校2年 
佐藤史崇(さとう・ふみたか)くん 14歳

「キーワードは人から学ぶことができる交流の実現」

(原文のまま掲載しています)

日本からアフリカにできること、そのキーワードは『人から学ぶことができる交流の実現』である。

 小学校時代、社会科学習や児童会活動でアフリカについて学んだ。それは、「飢餓・戦争・貧困・砂漠化・温暖化」というものが中心であった。児童会活動では募金にも協力した。これらの学習・行動はもちろん間違いではなかったが、心から必要と感じた学び・行動ではなかった気がする。これらの学び、つまり教科書や資料という文章や統計からの学びを通して、ぼくは知らず知らずのうちに、「アフリカは貧しい国だ。貧しいかわいそうな人たちがいる国だ。」というイメージを持った。そして、何となくアフリカを下に見ている自分に気づいた。

 アフリカに対するこんなイメージは、正しいのだろうか。今こそ、アフリカを学ぶのではなく、アフリカに今、生きる人から学ばなければいけないように思う。

 それには、実際にアフリカの人々との交流の場を設けることが第一だ。交流のよさは、感じ合い、学び合うことができることだ。そうすることで、対等の立場に立つことができるように思う。ぼくがこれまでに学んだ「飢餓・戦争・貧困・砂漠化」に直面する人たちは、何を感じ、何を必要としているか、その生の声を聞きたい。その声からこそ、ぼく自身の本当の行動が始まるように思う。

 まずは、現役の中学生の中から、交流を希望する学生をアフリカに派遣し、短期間でよいのでアフリカの人たちとの共同生活をさせてほしい。反対に、アフリカの人たちを日本に招いてほしい。この交流を通して、ぼくたちは必ずお互いの国のこと、お互いが考えていることを学び合うはずだ。

 先日、ぼくと同じ年くらいの人たちが学校で学ぶことができず、家族のために働いていることを雑誌で知った。仮にこのことを交流を通して確かめたなら、ぼくに何ができるだろう。一つ目は、アフリカの現状とアフリカで生きる人たちの思いを同じ中学生に、両親に、できれば日本全国の人たちに新聞やインターネットで伝えたい。二つ目は、アフリカの一人でも多くの子どもたちが学べる施設を作り、教師を派遣することを考えたい。そのためにはやはりお金が必要だ。そのために三つ目は、「アフリカに教育を!」募金を進める。自分たちが無駄を省いた結果得たお金を募金するのだ。例えばぼくたちの学校では、この冬、こまめにストーブを消し省エネに心がけた。一時間で約50リットルの灯油を節約することができたそうだ。これらの節約・節電・省エネの結果得たお金を「節約・節電・省エネ募金(使ったつもり募金)」として集めたらどうだろうか。この募金活動を一校から二校と、だんだんに増やし全国にその輪を広げられればと思う。人から学ぶことができる交流から、アフリカの人の本当の思いを知り、本当の行動を起こすことができるのだ。


審査員コメント
「何となくアフリカを下に見ている自分に気づいた。」この文章が中学生の率直な気持ちを代弁しているかのようである。そして、「アフリカに生きる人から学ぶ」というメッセージに変容している様子がわかる。エッセイなので、焦点をもう少し絞った具体的なアイディアがあるとおもしろかった。
東京学芸大学附属大泉中学校 3年
林 佳奈(はやし・かな)さん 15歳

「武器と楽器」

(原文のまま掲載しています)

 アフリカの開発を最も妨げているのは紛争ではないかと思う。その紛争では子供兵士という加害者と被害者の二つの面を持つ存在を忘れてはいけない。もしこの子供兵士の現状を放置すれば、将来彼らが新たな紛争を起こす可能性がある。一方で、もし彼らが普通の子供に戻ることができたら紛争がなくなり、開発への道がもっと開けてくるかもしれない。アフリカの開発のためには将来を担う子供たち、その中でも子供兵士の問題が手がかりになってくるのではないだろうか。

 私は音楽がすごい好きだし、アフリカの人には生まれながらに音楽の才能があると聞いたことがあるので音楽の力で子供兵士の問題を解決できないか考えてみた。

 子供兵士が普通の子供へ戻るためには、まず武器を持たないようにすることが必要だ。そこで日本ができるのは武器と楽器を交換して、その武器を処分することだ。楽器は安全なものであるし、それを使って仕事をすることもできる。貧困から子供たちが仕方なく危険な仕事に就くのも防げるのだ。また、音楽には心をいやす力があり、子供兵士の傷ついた心もいやすことができるだろう。でも、武器と楽器を交換する最大の理由はアフリカに武器が持ち込まれるのを防ぐということだ。授業でアフリカからいろんなものを輸入していると知った。それらを運ぶ飛行機はアフリカへ行くときに空だともったいないから武器を運んでいるかもしれないそうだ。せっかく武器と楽器を交換しても、もし新たに武器が運ばれたら彼らは再び子供兵士になってしまうかもしれない。その飛行機で楽器を運んだら、武器を運ばなくても良くなるのではないか。そうしたら子供兵士の数もきっと減っていくと思う。

 このプロジェクトで私たちが日本からできることは少しでも多くの楽器を送ること。私の家には保育園で使ったカスタネットや小学校で使ったリコーダーやピアニカなど使わなくなった楽器がある。他の人だって同じだと思う。ユニセフ募金みたいに手軽な気持ちで私たちでもアフリカのために協力できると思う。1998年の調査では世界で少なくとも三十万の十八歳未満の子供が紛争に参加したとされている。もし日本中が一人一つ楽器を送ったとしたら、日本の人口は約一億三千万であるから確実に彼ら全員を救えるのだ。

 武器と楽器という言葉は漢字で比べると一文字しか違わないのに、それが人間に与える影響は正反対のものだ。一方は人を殺すのに使われるけど、もう一方は人の心をいやしたり楽しくさせてくれる。武器をたくさん積んだ飛行機が楽器をたくさん積んだ飛行機に変わったら、アフリカの将来やそこで生きている子供兵士達の未来も明るいものになっていくのではないだろうか。


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アフリカ2008キャンペーンは、「がんばるアフリカ」を応援するために2007年3月から始まりました。
2008年5月に横浜で開催される第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)に向けて、アフリカの人の声を届けます。
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