アフリカ・エッセイコンテスト受賞作品を紹介
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東京学芸大学附属国際中等教育学校1年
道野珠璃(みちの・じゅり)さん 13歳 「アガッペをみんなへ」 (原文のまま掲載しています) 彼女は無口だった。ニューヨークのホームステイにきてから3日がたっていた。1日目に「私はアンニャ。十四歳。色々よろしく願いします。」それきり何も言わなかった。それだけじゃない、何も食べてない。私の母は心配で一食に何品も作った。それでも何も食べなかった。彼女はアフリカの孤児院で三才の時から住んでいることは聞いていた。その孤児院は両親がエイズで面倒が見れない人や、亡くなってしまった子どもたちの面倒を無料で見る孤児院で、お金が足りなくなって国連に相談したところ、ニューヨークの国連学校の生徒とともにコンサートを行い、お金を集める方法にきまった。孤児院に住んでる子どもは約二百五十人、その中から十人だけコンサートをやりにニューヨークへきた。コンサートはニューヨークにきて7日目と8日目にやる予定だった。私は学校から許可をもらいニューヨークの町にビラをはり、人をあつめた。そのビラにはアガッペと言う字が書いてあった。私は気になったのでアンニャに聞いてみた。「アガッペって何?」そしたらアンニャが教えてくれた「愛、ハッピネスよ、私たちが今感じていることよ」。思わず私は「エッ」と言ってしまった。「だって私のお父さんとお母さんはエイズで死んで兄は殺されてしまったけど私は外国まで来て生きているのよ。私はアガッペに囲まれて生きているのよ。」と明るく言った。私は言葉を無くしてしまった。ただ涙があふれ出てくるだけだった。「何んで泣くの?大丈夫よ私はエイズじゃないから」とアンニャは言った。 その夜私は色々教えていた。何んでアンニャは自分が幸だと言えるのか、辛くないのか。つぎの日思いきって聞いてみた。「辛くないの?ウチにいて?」するとアンニャは言った。「辛いけど、アフリカにいる二百五十人の家族がまってるから!大丈夫!コンサートを成功さしてみんなで食べたことのない量の食べ物をみんなで食べるんだよ!」と言われた。それから私はアンニャのために色々とコンサートのじゅんびをした。アンニャのき国ご私は先生かられんらくをもらった、それはアンニャが私に手がみを書いてくれたことだった。てがみの内ようは「私たちは今もっとアガッペに囲まれて生きているよ、じゅりのおかげさ。だからもう心配しないで。これからじゅりにやってほしいことはアフリカのためにうごいてほしいの、じゅりは二百五十人の命をすくったからこんどはアフリカみんなをすくって!じゅりなら出来る。」今、私はドネーションやコミュニティーサービスにとりくんでいます。すこしずつですが私のヘルプでアフリカをすくえたらいいです。 審査員コメント ●道野さんの、アフリカからの訪問者(招待者@NY)アンニャさんとの交流を通して書いていたのげ、具体的で、読む人に伝わりやすいと思いました。文章のなかで、「アガッペ」(アガペ)という、キーワードも活きていると感じました。 PR |
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アフリカ2008キャンペーンは、「がんばるアフリカ」を応援するために2007年3月から始まりました。
2008年5月に横浜で開催される第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)に向けて、アフリカの人の声を届けます。
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